3. 生徒会長

「リトル・アンソニー&ジ・インペリアルズ」を呼んだ

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私はペンシルベニア州のアビントン高校に進学し、生徒会長に選ばれた。任期の1年で、私は人生を導く2つの指針を得た。第一に、「誰もしていないことをする」。第二に、「本気でやるなら小さくても大きくても同じ」だ。

かつてない生徒会にしたかった。カリフォルニアへの家族旅行中、母が運転する車の後部座席で考え続けた。「想像できる中で、最もすごいことは何だろう?」。ひらめくたびに葉書(はがき)に書き留め、副会長に送り続けた。長距離の電話代が高い時代だ。

浮かび上がったのは、大胆不敵な構想だ。ロックンロールを代表する黒人グループを招いて公演してもらう。その名は「リトル・アンソニー&ジ・インペリアルズ」。音楽好きの私はもちろん、全生徒の憧れの的だった。

生徒たちは懐疑的だった。「狂ってる」「全米のスターが田舎の高校に来るもんか」「俺らはガキだぞ」。だが別の感情も感じた。「来てくれたらいいのに」

彼らは来てくれた。ある生徒の父親が、グループの代理人とつながっていて、おそらくその父親への好意で実現した。会場は超満員になり、熱気は最高潮に達した。

私は変わっていないのに、周囲は私が超能力でも持っているかのように見始めた。バスケットボールのシュートは2点だ。だが試合終了のブザーと同時に逆転する2点は全く違う。そんな感覚だった。

この一件は、多くのことを教えてくれた。達成できる最高の成果を思い描こう。想像できるなら、次は実行するだけだ。人が喜ぶことをすれば信頼も得られ、さらに大きな挑戦をする資格も得られる。

第2次世界大戦後、世界の頂点に立っていた米国は大きな転換点へと近づいていた。象徴的な出来事が、1960年に大統領に選ばれたジョン・F・ケネディの悲劇だ。

若くハンサムで、その魅力で愛されたジャクリーンを妻に持つケネディは、国民の想像力をかき立てた。若者は特にそうだ。政治が刺激的で、高潔で、身近に思えた。

63年、彼はテキサス州ダラスで暗殺された。その世代の米国人のほとんどは、今もその瞬間、自分がどこにいたかを正確に語ることができる。

私は高校の運動部を激励する集会に参加しており、体育館の観覧席にいた。教師が駆け込んできてマイクで告げた。「ケネディ大統領が撃たれた。もう助からない」。生徒たちは泣いた。いかにケネディに期待し、政治に心を託していたかを物語っていた。

あのとき、米国の何かが死んだ。そんなことは起こるはずがないと信じていた私たちの無邪気さだったか。彼のような人物は、彼が象徴する理念そのものの力で守られていると思い込んでいた。

私の甘い幻想も消えた。より良い世界とは受け継ぐものではない。自ら築かなければならないと気が付いた。

高校では、陸上競技の短距離走に打ち込んだ。そこで私は、恩義ある2人と出会った。1人はコーチのジャック・アームストロングだ。卓越した指導者で、彼が率いたチームは対抗戦で186勝4敗という驚異的な成績を残した。

練習の終わりに私は毎回吐いた。それほど厳しい練習なのに憎くなかった。彼は感情を表に出さなかったが、どこまで追い込み、最大の可能性を引き出せるかを正しく見極めていた。今も私の理想の指導者であり続けている。

もう一人は短距離のチームメイト、ボビー・ブライアントだ。彼のおかげで私の視野は劇的に広がった。次は彼について話そう。


初出:日本経済新聞(2026年10月)