20. 株式公開

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2007年、ブラックストーンは新規株式公開(IPO)に踏み切った。業界大手として世界で初めてだ。経営を変えただけでなく、地政学的な変化を映す鏡にもなった。

IPOは私のアイデアではない。シティグループの法人部門を率いていた マイケル・クライン が持ってきた。

06年5月の土曜日の朝、パジャマ姿で朝食中だった私に電話が来た。「すぐ話したい。20分で行ける」とマイケル。「重要だろうな」と私。マイケルは「イエス」という。

2人で朝食を取りながら、彼は「上場すべきだ」と切り出した。
「なぜだ?」と私。考えたことがなかった

マイケルは自説を語った。最大の利点は、恒久的な資本を手に入れることだ。投資家は私たちのファンドに出資しており、満期が来れば返す必要がある。株式市場で調達した資本にはその義務がない。

報酬でも利点はあった。自社株で払えば、長年築いてきた「ワンファーム」の文化がより強まる。共同創業者で会長の ピート・ピーターソン は引退を控えており、資本を調達すれば彼の引退後の資金も確保できる。

私はいくつか懸念を口にした。最も大きかったのは支配権の問題だった。ピートと私は議決権を独占することで、数十年単位の経営判断を下すことができた。上場して四半期ごとの業績に一喜一憂する株主に口を出されたくない。

それでも私はマイケルの提案に感謝した。金融危機の足音が聞こえ始めており、資本基盤の強化は魅力的だ。

1点だけダメを出した。マイケルは時価総額を300億ドルと見積もった。私は「350億ドルだ」と言い返した。

翌月曜、私は社長の トニー・ジェームズ に経緯を話して上場準備が始まった。一般投資家は経済的利益を得ても統治には参加しない。特別な議決権を活用し、ピートと私が会社の支配を続ける。

議会や労働組合から上場を延期するよう声が上がった。買収ファンドは投資先企業で雇用を切るなどと、いわれなき批判にさらされていた。我々のIPOは、当時の米国の経済的・社会的な雰囲気を映していた。

私たちは 07年6月 に上場した。新株への需要は圧倒的で、04年のグーグル上場以来という大きな注目を集めた。

3つの外国政府が出資で関係を築きたいと接触してきた。私は迷わず中国を選んだ。
中国は 01年 に世界貿易機関(WTO)へ加盟し、輸出で世界から資本を吸収していた。投資資金の供給源になりえる。1980年代に私たちが日本に頼ったのと同じだ。

中国にとっては第2次世界大戦後、初の本格的な対外投資だった。中国はワシントンに対し、輸出で得た資金を世界の金融システムを安定させるために投資していると訴えたかったのだろう。

上場に合わせて北京を訪れた際、中国を担当するパートナー(共同経営者)の アントニー・リョン が、「上海で人と会ってほしい」と言う。

疲れ切った私は断った。だが彼は「どうしても行くべきだ」と譲らない。結局は上海へ飛び、市のトップに引き合わされた。彼の名は 習近平 。現在の国家主席だ。

IPOは中国との関係が深まる起点になった。後年私はトランプ大統領と習主席の間を取り持ち、米中の緊張緩和に動いた。海外の若者が中国への理解を深めるため、北京の清華大学に修士課程「シュワルツマン・スカラーズ」を創設した。すべてはIPOの瞬間から始まった。

初出:日本経済新聞(2026年10月)