ソニーのM&A続々と
バブル崩壊で日本から撤退
1987年、ジャパンマネーの潮流がブラックストーンに押し寄せた。M&A(合併・買収)の助言業務で顧客になってくれたのがソニー(現ソニーグループ)だ。
縁を取り持ったのは会長の ピート・ピーターソン だ。70年代、ニクソン政権の商務長官で、当時から共同創業者の 盛田昭夫 さんと親しかった。
87年の日曜日の夜、自宅でテレビを見ていたら電話がきた。ソニーの米国事業を率いる友人の ミッキー・シュルホフ だった。「急ぎだ。ミスター盛田がCBSレコードを買収したいと言っている。代理人になってくれ」
CBSレコードはマイケル・ジャクソンやブルース・スプリングスティーンを擁する名門だ。私たちは太平洋をまたぐ 20億ドル の買収にこぎ着けた。第二次世界大戦後、日米間の大型M&Aなど前代未聞で、日本は大騒ぎになった。
盛田さんはすぐ次の野心を抱いた。映画スタジオを買収したいという。
ソニーは家庭用ビデオの規格戦争を戦っており、自社のベータマックス方式は当時の松下電器産業などのVHS方式に押されていた。盛田さんは映画コンテンツのライブラリーを持てば優位に立てると考えていた。
89年、ソニーはコロンビア・ピクチャーズ・エンターテインメントを 34億ドル で買収した。だがその後、ハリウッドの紛争に巻き込まれた。
ソニーは「バットマン」の成功で注目を集めたプロデューサーの ピーター・グーバー らにコロンビアの経営を任せようとした。だが彼らはワーナー・ブラザーズと 5年間 の専属契約を結んでいた。
ワーナーはソニーが人材を引き抜いたとして、巨額の損害賠償を求めて訴えた。仲介者の説明が不十分だった。盛田さんは電話で、「和解させてくれ。ワーナーとの交渉は、私と君だけでやる」という。私たちは要求をはるかに下回る額で和解に持ち込んだ。
買収を勧めたのはソニーだけではない。88年、私たちは米国を代表するタイヤメーカー、ファイアストンに助言し、ブリヂストンによる約 26億ドル の買収に持ち込んだ。
社員が20人もいない会社が大型M&Aを次々と成立させた。私は日経に全面広告を出すことを思いついた。やるなら大々的にやろう。日本でM&Aはなじみがなく、人々をあっと言わせるだろう。
文章は私が書いた。M&Aはマネーゲームではない。ソニーやブリヂストンが示したように、友好的で建設的な関係づくりだ、と訴えた。
ピートと私ら幹部が横一列に並んだ写真も撮影した。「『七人の侍』の場面みたいだ」と言われた一枚だ。ゲラ刷りを見た私は、「素晴らしい広告だ」と自画自賛した。
だが翌朝、ミスに気付いて飛び起きた。「英語のままだ!」。大慌てで日本語に翻訳した。「ニューM&Aの時代」。こう題した広告は、88年6月17日 の朝刊を飾った。
だが勢いは続かなかった。90年代初めに日本のバブルが崩壊し、M&Aの機運はしぼんだ。私は日米の企業を紹介し合っていた日興証券の経営陣に、新たな提携先を探すよう勧めるようになった。「あなた方に必要なのは、国内の個人投資家向けの商品を開発する米証券会社です」
98年、日興はまさにそんな提携をトラベラーズ・グループ(現在のシティグループ)とした。我々は提携を解消し、日興社内にあったオフィスを閉じた。私たちにとって、日本は「失われた10年」へと入っていった。
初出:日本経済新聞(2026年10月)