禁じられた同業への転職
ホワイトハウスは直前で断念
1984年、リーマン・ブラザーズはアメリカン・エキスプレス(アメックス)の傘下に入った。翌年、私はブラックストーンを起こすため退社したが、自分を起業家だと考えたことはなかった。
私はリーマンを愛し、そこで自分のキャリアを築きたいと思っていた。だが会社を崩壊させた社内抗争を目の当たりにし、伝統を裏切った人々と働く気にはなれなかった。
起業したもう一つの理由は、アメックスに傘下入りする条件として、同業他社に転職しないという契約があったからだ。私はリーマンの元CEO、ピート・ピーターソンを誘って独立した。
力を持て余しているように見えていたのだろう。アメックスのCEO、ジム・ロビンソンは気を使ってくれた。
ジムはジョージア州アトランタ出身だった。父が地元有数の銀行を率いていた。ジムも古風で礼儀正しく率直な人物だった。彼と話し、働くのは楽しかった。
私はジムの隣の執務室を与えられた。反対側には後にIBMの再建で名を馳せるアメックス社長のルー・ガースナーがいた。「ガースナーに金融を教えてほしい」。ジムは私に依頼した。
ジムは私の「ステーツマン気質」を見抜いたのかもしれない。彼は私にホワイトハウスへの道まで開いてくれた。彼が手配したのは、当時のレーガン大統領の首席補佐官、ジム・ベーカーとの面談だった。後に財務長官として85年のプラザ合意を仕切る人物だ。
私は4番手のスタッフとしてホワイトハウスに行くことになった。だがその時、ベーカーが財務長官に、財務長官のドン・リーガンが首席補佐官に就く人事が決まった。
ベーカー側の人々は私にホワイトハウス入りしないよう強く勧め始めた。リーガンは重大なミスを犯しても責任を部下に押しつけ、部下は解雇されるという。「あなたもそうなる」と警告した。
彼らの代案は財務次官補だった。国債の借り換えを担当する。だが、そのポストは2年間空席で、国債も問題なく発行していた。ならば、その職に就く意味は何なのか。「我々のチームの一員になってくれるだけでいい」と言われたが、話は終わった。
ピートはリーマンを追われた後、仲間と投資会社を立ち上げ、小さな案件を手掛けていた。私は彼に、後にブラックストーンとなる会社を一緒に起こそうと持ちかけた。
私の口説き文句は今と同じだった。「人生をかけるなら、途方もない規模に成長する事業を選ぶべきだ」
ピートはリーマン時代と異なり、小さな企業と仕事をすることに魅力を感じていたかもしれない。だがやはり大企業を相手にする方が向いていると気づいたのだと思う。
最初、彼は慎重な案を示した。彼の会社に私が合流し、私の考えている事業をするというものだ。私は食い下がった。「知らない人たちと事業をしたくない。あなたと大企業に焦点を当てた事業を築きたい」彼は応じてくれた。
我々は補完的だった。全米最優秀の学生が入る組織「ファイ・ベータ・カッパ」に選ばれ、過程を重視するピートと、直感で相手が何を望んでいるのか理解した私。
全米に人脈を持つピートと、なぜその人に働きかけるべきなのかを見極められる私―。
役割分担も決まった。「CEOは君がやるべきだ。私は2度もやった」とピート。もう重圧を十分味わったのだ。ピートが会長、私がCEOに就くことになった。
初出:日本経済新聞(2026年10月)