社内で孤立 恐怖覚える
現場主義 見抜いた企業倒産
私は1969年にエール大学を卒業し、翌年にハーバード・ビジネス・スクールに進学した。その間、ドナルドソン・ラフキン・アンド・ジェンレット(DLJ)という投資銀行で7カ月間働いた。ウォール街人生への入り口だ。
卒業後に6カ月の兵役を務める予定だった。それまでどう過ごすか模索していると、DLJの創業者の一人であるビル・ドナルドソンと巡り合った。後の米証券取引委員会(SEC)委員長だ。
マンハッタンのオフィスは活気に満ちていた。ビルが手配した幹部たちとの面接を終えた後、ビルから連絡が来た。私を採用するという。
「報酬は1万ドルだ」と彼は言った。当時の大金だ。だが私は逆提案をした。「1万500ドルください」。エールの同級生が1万ドルもらうと聞いたからだ。一番を目指す私の気性はその頃からあった。「意味が分からないけど払うよ」。ビルは言ってくれた。
調子がいいのはそこまでだ。私は財務諸表を読むことができなかった。社員が会社の年次報告書を机に置いて「分析して」と言うが、年次報告書の存在すら知らなかった。中には貸借対照表、普通株、優先株といった専門用語が並んでいる。「参った。これは相当ややこしいぞ」
社内では誰も何も教えてくれなかった。生まれて一番の恐怖を覚えた。人から仕事を頼まれることが怖くなり、人と目を合わせずに毎日を過ごした。DLJで学んだのは人を避ける方法だった。
私は誓った。「自分が上に立ったら人をこんな目に遭わせない。絶対に、絶対にだ」。ブラックストーンでは本格的な研修制度を作った。「知ったかぶりをせず尋ねること」という内規もある。
誇れることも一つある。私は企業の倒産を見抜いた。ナショナル・スチューデント・マーケティングという会社で、大学生に小型冷蔵庫を貸し、生命保険を売っていた。
私は事業がもたないとすぐに気付いた。学生は冷蔵庫を乱暴に扱ってすぐ壊す。自分が永遠に生きると思っているので生保に興味はない。
会社を訪問し、疑念は確信に変わった。隣の部屋に誰がいるのかさえ把握していない。学生数の増加で成長企業に見えただけだった。社内は完全に統制を失っていた。
やがて破産する。こう結論づける報告書を私は書いた。まもなく本当に倒産した。
財務諸表が読めなくても狂気や愚かさは分かる。投資を決める前に自問すべきだ。「その会社に存在する理由があるか」「人は製品にわくわくするか」「経営者は誠実で目的を持っているか」。それとも、「営業マンが現実に存在しない何かをあなたに信じさせようとしているのか」と。
DLJでの時間を終えるにあたり、採用してくれたビルが昼食に誘ってくれた。別れ際、私は心に引っかかっていたことを勇気を出して聞いた。「なぜ私を採ったのですか? 私は訓練を受けておらず、技能もありません。実際に貢献できませんでした」
「勘だよ」。ビルは驚くべきことを言った。「君はいつかDLJを率いると思った」
お世辞ではなかった。13年後の82年、私がリーマン・ブラザーズで出世した頃、DLJのもう一人の創業者、ディック・ジェンレットから社長への就任を頼まれた。「ずっと昔から資質があった」と。
私は34歳の若さを理由にその申し出を辞退した。だが、ビルの予言を思い出して胸がいっぱいになった。
初出:日本経済新聞(2026年10月)