ユダヤ系入社の決め手
陰謀と抗争渦巻くオフィス
ハーバード・ビジネス・スクールで、Aプラスの高い評価を受けた私の論文がある。
就職先と考えていたウォール街の証券会社の将来性を評価した。ただ、オフィスを通じてだ。内装、レイアウト、配色、空間の使い方。これらが企業文化を読み解く手がかりだと考えた。
最初は、今はなき老舗のクーン・ローブだ。偉大な存在がいた。日露戦争で日本の戦費を担い、勝利をもたらしたジェイコブ・シフだ。
入り口の内側に巨大なシフの肖像画が掲げられ、近くに歴代パートナー(共同経営者)の小さな写真が並んでいた。私の結論は、「過去を見ているだけだ。いずれ消滅する」 だった。1977年、同社はリーマン・ブラザーズに身売りした。
リーマンのオフィスは薄暗かった。フロアは小さな部屋が入り組んで迷路のようだ。結論は、 「こうした環境は陰謀や対立を生み出して自滅する」だった。それでも私が入社したのはリーマンだった。
当時のウォール街は、証券各社が独自の宗派を持っているかのようだった。モルガン・スタンレーは WASP(白人・アングロサクソン・プロテスタント)で、メリルリンチには強いカトリック色があった。ゴールドマン・サックスとリーマンはユダヤ系だ。
偏見が残っており、私のようなユダヤ人が非ユダヤ系の会社に入るのは難しかった。名高いモルガン・スタンレーから内定を得たが、上下関係が厳しく、若いバンカーは目論見書作りに時間を費やしていた。やりたい仕事ではない。
リーマンの風土は開放的で気に入った。石油やエンタメ業界で鳴らした人がいた。元CIA(米中央情報局)の高官や、冷戦初期に封鎖された西ベルリンへの食糧空輸作戦に関わった米軍将官もいた。いずれも非ユダヤ人だ。
フラットな組織も合っていた。私がいたM&A(合併・買収)を助言する部門は、パートナーと若手が2人で仕事を進めた。同業は、幹部1人に若手を4人つけていた。
私は何かに興味を引かれるたびに、「商機はないか」 と起業家的に考える。幹部に学びながら自由に動き回れる環境を好み、巨大な組織の歯車になるのは好まない。名声こそモルガンに及ばなかったが、リーマンは自然な選択だった。今も正しかったと思う。
最初は苦労した。1年目、顧客訪問でミズーリ州のセントルイスへ出張した。パートナーのエリック・グリーンバーグが往路の飛行機内で、私が作った資料の数字が一部間違っていると気づいた。「間違ったページを抜いてしまえ。あとは何とかする」
だが慌てた私は正しいページを抜き、誤ったページが顧客に渡った。エリックはしばらく口を利いてくれなかったが、帰りの空港で言った。「次に同じことをしたら、その場でクビだ!」耐え難い屈辱を味わい、二度と同じ失敗はしないと固く誓った。
後に最高経営責任者(CEO)となるルー・グラックスマンと初めて会議で会ったときも凍った。彼は私をにらんで怒鳴りつけた。「なぜ背筋を伸ばして座らない!」。ルーは聡明だったが、たまに感情が制御できなくなる。ルーと私は後に、異なる立場でリーマンの身売りに関わる。
ハーバードで書いた論文に戻ろう。リーマンのオフィスから読み取った陰謀と抗争は現実だった。成果を上げた瞬間、ねたまれる。私は自分の時間の半分を案件を成立させるために、残りの半分を自身が生き残るために使った。
初出:日本経済新聞(2026年10月)