5. エール大

大学生のころ Photo Courtesy of Yale University

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私はエール大学に進んだ。エールがなければ私の人生は違うものになっていた。

校舎、寮、食堂、あらゆる場所に、1701年の創立以来巣立った偉人の名前が刻まれていた。政治家や「フォーチュン500」の経営者だ。育った環境に、そんなエリートはいない。ユダヤ教の集会場で上院議員の講演を聞いた程度だ。「こういう人らが国を動かしている」と思った。

「文化行動学」という専攻を選んだ。人類学、社会学、心理学、生物学などを組み合わせ、人間の行動を理解する。人の思考や行動に関心があった私にぴったりだ。

だがすぐに落ちこぼれた。最初に提出した英文学のリポートは合格ギリギリの100点満点中68点だった。次は不合格の66点に沈んだ。

「君はばかではない」。若い英語教師のアリステア・ウッドは優しく言った。「分析し、書くことができないだけだ」。彼は書き方を、次に分析の仕方を教えてくれた。1年後、私は放校どころか学年上位10%の成績を収めた。

彼の親切は私の人生を変えた。私がビジネスで成功を収めた後、英国のスコットランドの大学で教えていた84歳の先生を探し出してお礼を伝えた。私を覚えてくれていて、心からうれしかった。

私は、落ちこぼれそうな人を助けることが人生の責務と考えるようになった。ブラックストーンでも、若い世代が取り残されないよう助けることを義務にしている。

私は新たな目標を抱いた。学生の名門秘密組織「スカル・アンド・ボーンズ」への入会だ。招待制で、目立つ実績がないと声がかからない。

私は、今も使っている方法を試みた。誰もしたことのないことをするのだ。

まず、私はバレリーナを呼んだ。当時のエールは男子校だ。「美人をキャンパスに連れてくれば、学生は必ず集まる」。世界最高峰のバレエ団、ニューヨーク・シティ・バレエに目をつけた。

私は現在のリンカーン・センターに忍び込み、支配人室へたどり着いた。ありもしない「エール・バレエ協会」の代表を名乗り、将来の観客を育てるために公演を、と懇願した。何と「小規模なら」と承諾してくれた。

近くの女子大の学生たちも大勢招いた。目論見通り男子学生が押し寄せて、私の名前はキャンパスに轟いた。

次に、寮への女学生の立ち入り禁止の撤廃を試みた。私も近くの女子大生と交際しており、何とかしたかった。

女性が来れば学生が勉強に集中できないというのが大学の主張だった。ならばと4000枚の質問用紙を学生に配った。99%が「保護はいらない」と答え、270年近く続いた規則は数日後に消えた。

エール大にいた1960年代後半の米国は、激動の時代だった。キング牧師も、ケネディ大統領の弟で後継者と目されていたロバート・ケネディも暗殺された。反戦運動も、ヒッピーも、女性解放運動も当時の社会現象だ。

経口避妊薬(ピル)の登場は、未婚者を含む男女関係そのものを変え始めていた。私の試みは、悪ふざけというより時代の断面だった。

私はスカル・アンド・ボーンズに誘われた。2004年の大統領選では、制した共和党のブッシュ元大統領も、敗れた民主党のケリー元国務長官も会員だ。2人はエール時代の知り合いでもある。私は後に、組織の別の先輩とも出会う。ステーツマン人生の起点を作ってくれた恩人だ。


初出:日本経済新聞(2026年10月)