トップ主導事業 大損失
アメックスに身売り 独立失う
リーマン・ブラザーズの社内は分裂していた。対立はライバル部門同士だけでなく、部門の内部にも及び、権力欲や恨みがそれをあおった。
1973年、リーマンはピート・ピーターソンを最高経営責任者(CEO)に迎えた。商務長官を務め、後に私とブラックストーンを創業する人物だ。パートナー(共同経営者)たちが、「金融の知識がないピートなら操れる」と考えた末の妥協の産物だった。
そのピートもCEOの座を失った。83年、トレーディング部門を率いるルー・グラックスマンが追放した。私はピートになぜ抵抗しなかったのか尋ねた。彼は、
「自分の地位のために会社を破壊したくなかった」と言った。
皮肉なことに、会社は翌年崩壊する。
ピートを追い出した後、ルーは私に接近した。朝6時30分から2時間半も続く面談を求めた。ルーはピートの腹心だった私の考えを探り、取り込みたかったのだろう。私は投資銀行部門にいて、ルーとはあまり接点がなかった。
もっとも、面談は数回で終わった。「君は頭が切れて有能だ。でも私の仕事は渡さない」とルーが言う。「どういう意味ですか?」と当惑する私。「君が私の地位を狙っているのは知っている」とルー。私が「どうしてそう思うんですか?」といくら否定しても、「私には分かっている」と譲らなかった。
ルーは恐るべき人物だった。トレーディングで富を築き、強烈な意志でリーマンの頂点に立った。その彼が私を敵視していたのは意外だった。
もっとも彼の暗い予感は、別の意味で当たった。彼が支配力を失う過程で、私は意図せざる役割を果たした。
ルーの統治で84年、会社は資本不足に陥った。私はM&A(合併・買収)の担当者として、会社をアメリカン・エキスプレスに売却した。新たな親会社は彼を解任した。
危機の原因はコマーシャルペーパー(CP)事業だった。満期は30日から90日が一般的だが、ルーたちは欲に駆られた。内規に反し、満期が最長5年に及ぶ債券を購入してリスクを高めた。相場は思惑と逆に振れ、損は膨らみ、会社の自己資本を食い潰した。
木曜日だった。パートナーたちは損失を知り、会社を売却する方針を決めた。日曜日までに契約を終えなければ情報が漏れ、市場の信認を失い、リーマンは崩壊する。
取引は何とか間に合ったが、幸せな結末ではなかった。リーマンは独立を失い、私に深い喪失感を残した。
外部から資本を導入する選択肢もあった。しかしパートナーの意見は割れ、誰が交渉を主導するかの合意は無理だった。身売りという、会社に残った価値を守る最も単純な方法を選ぶしかなかった。
正しい行動を取らなかった上級パートナーもいる。規則を破り、損失を隠そうとしたルーに立ち向かうべきだった。だが彼らはルーを恐れてそうしなかった。ルーは彼らの生殺与奪の権を握っていた。
私は内部抗争の危うさを思い知った。人が組織のためではなく自分のために行動し始めると、協力関係は崩れる。
教訓は胸に刻んだ。85年にブラックストーンを創業した日から、私は社員に「解雇する理由は2つしかない」と言い続けた。1つは期待する成果を上げられないこと。もう1つは社内抗争への関与だ。
抗争を防ぐ仕組みもつくった。議決権の100%をピートと私で保有した。会社全体の利益を目指すためだ。
初出:日本経済新聞(2026年10月)