1. 日本へ恩返し
窮地救ったジャパンマネー
投資で成長に貢献する時
私は1985年、ブラックストーンという投資会社を米国で共同創業した。わずか2人からのスタートだったが、約40年を経て5000人を擁する世界的な企業に成長した。世界の顧客から1・3兆㌦(約200兆円)を超える資金を預かって運用している。日本の一般会計予算を大幅に上回る規模だ。
資産運用といえば株式や債券と思うかもしれない。だが、うちの主戦場は非公開の市場だ。未公開企業への出資や不動産など85の投資戦略がある。例えば私たちはデータセンターの世界最大の保有者だ。世界を変えつつある人工知能(AI)のインフラだ。
「オルタナティブ(代替投資)」と呼ばれるこの種の投資は高度な技術が必要だが、リターンも高い。規模はこの分野で世界最大になった。
世界の拠点を結ぶ毎週月曜日の会議は、私たちの企業文化を体現する。無関係に見える点と点をつないで誰も見ていない未来をあぶりだす。2008年に米大手証券リーマン・ブラザーズが破綻して起きた金融危機の兆しも、会議でくっきり表れた。連載では会議の内幕を紹介する。
私は投資家以外にも多くの顔がある。各国指導者たちとの関係を通じて米国に貢献することがそのひとつだ。経済や通商の問題に関し、共和党や民主党を問わず歴代の大統領に助言をしてきた。
近年は米中の緊張緩和に取り組んできた。17年にトランプ大統領が就任して間もなく、私は米国の考え方を中国に伝えるよう頼まれた。現在も、大統領を助けて国に奉仕している。可能な範囲で米中外交の舞台裏も紹介したい。
世界の政治家と交流した一人に安倍晋三元首相がいた。安倍さんが13年に打ち出したアベノミクスは、日本経済に革命をもたらした。当時、日本人が20年ぶりに心の底から笑うのを見た。長年の停滞で疲れ果てた日本人は、安倍さんを選ぶことで、自国の針路を変える選択をした。
彼は世界でも最も賢明な政治家の一人だった。22年に銃撃で命を落としたとき、私が感じた喪失感と深い悲しみは言葉では表現できない
私は必ず成功すると信じて創業したが、当初事業は軌道に乗らず、先行きも見えなかった。窮地から私たちを救ったのが、絶大な存在感を誇ったジャパンマネーだった。
ソニーグループは当時からのお客だ。創業者の盛田昭夫さんや井深大さんには恩義を感じている。だが最も助けてくれたのは、肝が据わったひとりの証券マンだった。日興証券で活躍したヤスオ(神崎泰雄)との、生涯にわたる友情も紹介しよう。
当社はバブル崩壊後の1990年代に日本から撤退した。しかし私は今、日本が向こう10年、20年にわたって中核的な投資先になると確信する。得意な投資を通じて日本の成長に貢献し、ヤスオをはじめ私を育ててくれた日本の人々に恩返しをする時が来た。
私は座右の銘を持ったことはない。だが連載のために自らの人生を振り返ると、二つの指針が思い浮かぶ。一つは「より良い明日」、もう一つは「毎日学ぶ」だ。
私は今日が人生で最高の日だと信じている。明日も同じことを言いたい。それには日々学び続けるしかない。
悔しくて涙した失敗についても、失敗から得た教訓や、その先にあった成功についても書くつもりだ。より良い明日のために、毎日学び続けようとした一人の人間の素顔を知ってもらいたい。
初出:日本経済新聞(2026年10月)